大英博物館が100倍楽しくなる見どころ紹介特集!【大英博物館編】

古代ギリシャ編

さて、お待たせしました!
今回は西洋文明の源流とも言える
古代ギリシャ文明の展示について見ていきましょう!

古代エジプト、そしてメソポタミア文明が
西洋文化の礎となっているということでしたね!

そうなんです!
そんな古代エジプト文明とメソポタミア文明の
復習をさらっとしましょう!

 ✏エジプト美術の主なテーマは、死後の世界

 ✏エジプトの美術様式は3000年間ほとんど変わらなかった

 ✏古代文明の美術は写実的!

 ✏メソポタミア文明は西洋文明の礎

古代エジプト・メソポタミア編はこちらから
➡️大英博物館が100倍楽しくなる見どころ紹介特集!③

それでは、古代ギリシャ文明について見ていきましょう!


✍第1章 意外と知られていない?古代エジプトとエーゲ文明の関連性

〜コラム 古今東西を結ぶ架け橋!?西洋占星術とギリシャ神話の豆知識!〜

✍第2章 未だに謎多き古代文明、エーゲ文明とは?

〜コラム こんなところにも共通点?!日本とエジプトをつなぐ「蓮華」〜

✍第3章 西洋美術の源流!古代ギリシャ期の彫刻の驚くべき写実性!

✍まとめ 

第1章 意外と知られていない?古代エジプトとエーゲ文明の関連性

さて、古代オリエントや古代エジプトの影響を受けて栄えた
古代ギリシャ文明の系譜をサクッと見てみましょう!

前回のガイドでは
今から約5000年ぐらい前から存在していたと考えられている
エジプト文明について見てきましたね。

ファラオ(王)が
紀元前27世紀ごろから各地にあった村をまとめ、
一つの国として統治したのが
古代エジプト王朝のはじまりでしたね。

その通り!

王朝が栄えたキーワードとして、
高い建築技術と農耕文化の発達
強い軍隊の所持
外国との貿易

という3つのキーワードが挙げられます。

この外国との貿易の中には古代ギリシャの
都市国家も含まれているんですよ!

古代ギリシャと古代エジプトに
交流があったなんて知らなかったです!

意外ですよね!
紀元前19世紀には古王国時代のエジプトと
ギリシャ地方に点在していた都市国家との交易があった、
ということがわかっています。

しかしこの時代のギリシャの都市国家は、
私たちが考えるいわゆる古代ギリシャ文明とは異なります。

多くの人が古代ギリシャと聞いて思い描くのは、
アテナイやスパルタといった都市国家が繁栄していた
紀元前5〜4世紀ごろかと思います。

アテナイって現在のギリシャの首都アテネのことですよね?

その通りです!
古代ギリシャを代表する都市国家で、
紀元前7〜4世紀ごろに繁栄したと考えられています。

民主制による都市国家の運営によって
ペルシア戦争などにも勝利した有名なポリスでもあります。
皆さんも、一度は聞いたことのある
『パルテノン神殿』が建てられた場所ですね。

画像引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/パルテノン神殿

大英博物館の見どころ紹介で少し触れましたね!

よく覚えていますね!
パルテノン神殿の一部であるレリーフや彫刻が
大英博物館で展示されています。

ちなみに、もう一つ有名な都市国家スパルタは、
男女問わず戦闘訓練が厳しかったことで有名です。

「スパルタ教育」という言葉として
現在でもその言葉が使われていますよね

今でも昔の考えが受け継がれているってすごいですね!

実はこの時期よりずっと昔、
およそ紀元前2600年頃〜紀元前1200年頃には
エーゲ文明と呼ばれる古代文明があったことがわかっていて、
このエーゲ文明期の都市国家が
古代エジプトとの交易があった国と考えられています。

この時代の文明は
オリエントとの交易を経てエーゲ海を中心に栄えたので、
総括してエーゲ文明と呼ばれています。

大英博物館では、地上階にあるRoom 13にて
エーゲ文明時代の展示品も見ることができますよ!

Room13 Gold ornament,pendant, Minoan 1700 – 1550 BC

細かい金細工のアクセサリーですね!
当時の金属加工技術はすごく高かったことがわかりますね

いい着眼点ですね!
金属加工の技術が高い、ということは
道具や武器を丈夫に作れるようになったということです。
そして農業生産率が上がり、外敵から身を守るために
人々が都市や国を作って共同生活を営むようになったのです。

さて、そんなエーゲ文明の変遷とギリシャ美術の流れについて
次章で見ていきましょう!

〜コラム 古今東西を結ぶ架け橋!?西洋占星術とギリシャ神話の豆知識!〜

 みなさん、占いはお好きですか?

 誰しも、一度は占ったことがあるのではないでしょうか。

 生年月日から性格や未来に起きる出来事などを占う西洋占星術の起源は、メソポタミア文明にあると言われています。そしてその歴史は、なんと5000年以上!

 現代社会において西洋占星術はスピリチュアル、非科学的なものとして扱われていますが、当時の人々にとっては宇宙科学のような存在でした。

 なぜなら古代文明における占星術は、その人の性格や未来を占ったりするだけではないからです。惑星の運行を知り、季節を把握するという農業の発展に直結する大切な学問でした。農作物の収穫は国家の繁栄はもちろん、人々の命に関わる重要な知識ですよね。

 そんな西洋占星術は古代インドに受け継がれ、古代ギリシャで発達し、中世イスラムの世界を経て、現代文明にも大きな影響を与えています。

 例えばプラネタリウムなどで説明される星の運行は、古代ギリシャ神話が基礎になっています。

 春の星座として知られている乙女座は、ゼウスの姉である収穫の女神デーメーテールだと考えられていました(諸説あり)。彼女の娘ペルセポネ​ー​が冥界の王ハデスに連れ去られてしまうという神話はとても有名ですね。

ベルニーニ作〈ペルセポネーの略奪〉(画像引用: https://ja.wikipedia.org/wiki/プロセルピナの略奪

 ハデスに見染められた最愛の娘ペルセポネーが冥界に連れ去られてしまったので、母のデーメーテールは悲しみに暮れます。その影響で草木が枯れ、植物は育たなくなりました。

 一方で娘のペルセポネーは、空腹のあまり冥界にあるザクロの実を4粒食べてしまいます。

 冥界の食べ物を食べてしまうと地上の世界には戻ってこれないという決まりがありました。しかし、そのままにしておくと草木が育たなくなり、世界が大変なことになってしまいます。そこで神々は話し合い、ペルセポネーが食べたザクロの実の分だけ冥界にいるようにペルセポネーに命じ、その他の季節は地上の世界に戻ることを許しました。

 娘との再会によって、収穫の女神デーメーテールは元気を取り戻し、再び植物が育つようになります。そしてペルセポネーが冥界に行かなければならない期間には冬が訪れるようになりました。

 春の夜空に乙女座が昇る時が春の訪れ、すなわち種まきの時期というように古代人は解釈していたのですね。

 こうした星座の神話は今も昔も、美術品などにも多く見られる題材です。ロンドンにある美術館でも、多くのギリシャ神話を元にした絵画が見られるので、是非足を運んでみてくださいね!

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《プロセルピナ》1874 テート・ブリテン所蔵画像引用:https://www.musey.net/19790/19791


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第2章 未だに謎多き古代文明、エーゲ文明とは?

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